「名古屋COP10沖縄宣言」

2010/11/15 16:53 に Naofumi Nakato が投稿

 <沖縄の歴史生物多様性の視点から>

 沖縄(琉球)は、中国大陸の東側に位置し、亜熱帯性海洋気候に属する島嶼です。湿潤な気候とサンゴ礁が育む生物多様性を活かして人々は生活をしてきました。沖縄で持続可能な開発の為の資源管理の必要性が認識された記録は15世紀末から16世紀始めまで遡ることができます。山林管理経営に関する総合的な法制度はおよそ300年前に確立していました。これは生物多様性条約などで目指している資源の持続可能な管理の形と言えるものでした。

市井の住民にまで社会規範が行き渡っていて秩序があり、美しい町並みが形成されていた事と共に海外からの来訪者によって世界に伝えられたと言います。この時代の沖縄は日本、中国、朝鮮、東南アジアとの交易を大きな権益源として、豊かな経済と文化を発展させました。東アジアから西太平洋に至る各地の文化や物資の交流の中継地としても重要な役割を果たします。沖縄(琉球)はこれらの全てが相まって国際社会で名誉ある地位を占めていたと言えます。

19世紀末から21世紀現在までの沖縄の歴史は日本と米国の軍事的、経済的な覇権の為の植民地支配に晒されます。沖縄戦では住民の4分の1が亡くなりました。山も森も海も大きな破壊を受けました。戦後は27年間に亘って米軍政下におかれ、米軍基地建設のために住民の家や田畑が潰され、山も森も海も米軍基地に奪われてきました。日本政府はこのような米軍政に加担してきました。住民の生活・生産の場が奪われてきた例として、嘉手納飛行場、普天間飛行場などが挙げられます。普天間飛行場でいえば、米軍は沖縄戦の最中に避難している住民を収容所に押し込み、その間に、村のど真ん中にある住宅地や村役場、学校、田畑、松並木等々をブルドーザーで潰して基地を建設しました。このような基地建設の過程で山と森と海の生物多様性が大きく失われました。

沖縄の施政権が日本に移った後37年経過してもなお、奪われた民間地の返還は進まず、今なお広大な米軍基地が狭隘な島々の重要な部分を占拠していて、住民が望むこの地域の本来の生産と経済、文化的生活を営む事を阻害しています。巨大な米軍の活動の実態は外交協定を尊重しないもので、日本政府はこれに対処せず、住民の人権を不当に侵害しつづけています。地域の行政制度も歪なものとして、残された地域での開発が基地負担の代償の高率補助金とも相まって過剰に進む結果を産み、この地域の豊かな自然と生活環境は大きく損なわれて来ました。米軍基地の沖縄(琉球)圏内での米軍基地の移転計画と言う形で、その歯車は今も破壊の方向へ動いています。

 

<日本政府と米国政府への要求と国際社会へのアピール>

 生物多様性のホットスポットである日本の中でもとりわけ多様性が高い沖縄(琉球)が太平洋の軍事戦略上のホットスポットであり続ける事は住民の意思に反します。この様な差別の歴史が今後も継続することはこの地の生物多様性と密接に結びついた民族文化や言語を失って行くことにも繋がるものです。この事はまたユーラシア大陸、東南アジア、ポリネシア、オセアニア、日本列島等太平洋の西半分の広大な領域をカバーする生物多様性の遺伝資源ライブラリーを失う事をも意味します。

狭隘で影響を受けやすいこの地域の生物多様性保全のために残された余裕は多くありません。私たち沖縄の住民の意志は明白で、この事は「沖縄21世紀ビジョン」などの計画にはっきり方向性が記されています。地域がその主権に基づき自己決定した生物多様性を保全しつつ豊かな暮らしを取り戻す運動を他者が力で再び潰す事は許されません。

私たちは、日本政府に対し、沖縄に対する不当な軍事と経済、環境の法制度を抜本的に改め、米国政府と基地の運用の改善をする為に交渉し、沖縄の多くの人々が望む基地のない平和で豊かな沖縄を実現するよう求めます。

また私たちは、米国政府に対し、米軍基地とその運用が地域の主権を奪い、豊かな生活と発展、生物多様性の喪失を引き起こしている事態に主体的に責任を持って対処するように求めます。

各締約国に対し、沖縄の生物多様性の危機に直接的責任を負う日本政府と米国政府が、この地域において本条約の目的を果たすよう一致して働きかけてゆく事を要望します。

2010
1022日 
沖縄・生物多様性市民ネットワーク
ĉ
Naofumi Nakato,
2010/11/15 16:56
Comments